今回の中国との領土問題は、「国力が落ちるとどうなるか」ということを思い知らされた事件と言えると思います。
すでに産業構造上、市場としての中国を抜きに世界経済を考えられない状況にあることを武器にする中国には、
これからも外交上の無理難題を生じさせられることは不可避でしょう。
多くの点で中国という国の歴史と文化には尊敬するところもあると感じている私でも、今回のような抑圧的な姿勢には辟易とします。
筋道として通すべきことは通すべき、とは思いますが、広範囲のメリットとデメリットを計りにかけて柔軟に対応することも重要と思います。
(“プライド”に固執することほど高くつく買い物はない、というのが私の持論です。)
とはいえ、自民党が提案しているアメリカ軍への給油再開という政策を支持する馬鹿もいない、と私は思います。
「アメリカに媚を売って中国から守ってもらおう」という政策は(アメリカにとっても無視できなくなった中国に対して)現実的なのでしょうか。
現政権を批判するのは簡単ですが、どちらに転んでも困難な課題だったと思います。
先日、BS民放でマイケルムーア監督の「SICKO」を再び観ましたが、「国力」とは「国民力」だと再度痛感しました。
政治家に任せきりで、失政をすれば文句を言い、スケープゴートを血祭りにあげることで満足している国民であるあいだは、
その国が魅力的になっていく希望を感じることはできません。
いくつかの困難を多くの人が「自分だったらどうするか」という立場で考え、良いアイディアが思いついた時には、それを広めて
民衆の運動にしていき、国を動かす力に変えていけるように成熟していく必要がありそうです。
今のところ私にはどうすればそうなっていくのかのかわかりませんが、ただ漠然と、そういう社会になっていかなくては、と考えています。